また来た霧島東神社
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霧島神宮がいまの地に建立されたのは1484年とのこと。
それまで、947年に建てられた社殿はここにあったという。石垣のなかには、簡素な祠があるだけ。
沖縄・久高島や御嶽(うたき)に通じるものを感じた。ぞくぞくしてくるほどの神聖さ、何に由来するのだろうか……。まずは人の手によって作られたものが少なく、岡本太郎著の『沖縄文化論――忘れられた日本』を引用すれば「なにもない」ことかもしれない。
社殿跡を囲っている石垣は正方形、じつは焼失前、巨大なピラミッドが天に伸びていたのではないかと、妄想がふくらむ。
ここに巨大な円盤が下りてきても驚きはなく、素直に受け入れることだろう。 さすが神話の里と呼ばれるにふさわしい。
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泡波くんの“産湯”にあたる1湯目は、霧島神宮のそばにある丸枝霧島荘(霧島神宮温泉)の内湯だった。このあたり集中管理方式とのことだが、それでも湯桶には、活きがいい半端でない量の湯の華が舞う。感動ものである
。これは、この地にあるそれぞれの源泉のレベルが高いからだろう。
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血捨ノ木――霧島連峰の東麓にある宮崎県西諸県郡高原町で、こんな地名に出合った。しかも国道番号は擬似素数。字面を見ただけでも、ぞくぞくしてくる。血捨ノ木は「ちしゃのき」と読むのが正しい。「神武天皇が誕生されたおり、諸物を洗い清められた」ことに由来するとのこと。しかし、神武天皇は実在しなかったのではなかったか。いわれ自体、かなり怪げだが、それはよしとしよう。この地で、すごい炭酸泉に出会うことができたのだから。
このあたり、たかはる温泉郷というらしい。のどかな田園地帯が広がる。かつての土ワイ、火サスなど古代神話を結びつけたミステリーの舞台にふさわしい土地だ。ちなみに、西諸県は「にしもろかた」、高原は「たかはる」と読む。難読地名、覚えておいて損はない。
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今回、浸かったなかで気に入った鹿児島の温泉は以下。まずは、泉質から――、
日置市
・助代温泉
指宿市
・指宿温泉/二月田温泉殿様湯
・指宿温泉/弥次ケ湯温泉
・指宿温泉/東郷温泉
・指宿温泉/市営元湯
・鰻温泉 /区営鰻温泉
・児ケ水温泉/浜児ケ水区営温泉
霧島市
・霧島神宮温泉/丸枝霧島荘
・霧島神宮温泉/みやま荘
・霧の里本館(*絶景、鹿児島空港と桜島が望める。飛行機マニアには堪らない)
「絶景欲」では――、
鹿児島市
・城山温泉/城山観光ホテル(*絶景、桜島と鹿児島市内を一望)
指宿市
・伏目温泉/ヘルシーランド露天風呂(*絶景、開聞岳と錦港湾を一望。写真はいぶすきネットHPより)
あらためて、鹿児島の温泉は究める価値ありと痛感。とくに気に入ったのが温泉の師匠に薦められた「霧の里本館」(霧島市牧園)と、ANAのCFで柴咲コウも登場した「ヘルシーランド露天風呂」(指宿市山川)だった。
しかし、自治体の合併(平成の大合併)があってからは、地名に情緒がなくなってしまった。山川、鰻は指宿市だし、坊津は南さつま市、知覧、頴娃は南九州市である。
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霊峰、高千穂の東にある霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)はすごい! ピリピリするほど“神聖さ”が伝わってくる。沖縄の聖地、久高島を訪ねたときと同じものを感じた。神殿裏にそびえる木は、まるでゴジラのよう(写真上)
。
多くの初詣客が来ていたが、境内には出店や自動販売機もなく、まったく商売っ気ないどころか、トイレの表示さえない。おみくじの占いはめったにない断言調、逆にそう言い切られると気持ちいい。
境内からは御池(みいけ)が見下ろせる。この湖岸には皇子港、創崎港、苅茅港、柳港、護摩壇港などという伝説を彷彿させる地名がある一方、周辺には「血捨ノ木」なんていうオドロオドロしい字地名が存在する。『かまいたちの夜』を思い出した。
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♪花は霧島~ ♪温泉は霧島~ たばこは国分 燃えてあがるは桜島~
やはり、鹿児島は霧島でもつ!
鹿児島空港からのアクセスがいいので、霧島の妙見・牧園地区には十数回は訪れている。週末、発作的に、霧島の湯に浸かりたくなって日帰りしたこともあった。妙見温泉、安楽温泉、関平温泉、丸尾温泉、硫黄谷温泉、新湯温泉、湯之谷温泉などお気に入りの湯は多い。
東側に位置する霧島神宮温泉と称される場所に泊まるのは初めてだ。この丸枝霧島荘の湯に浸かる。蛇口を最大に開け、温泉をぜいたくに投入、それほど大きくない湯槽に活きのいい湯の中に、生まれたてホヤホヤの湯花が舞う。なんと幸せなことか。来る途中、買い込んできたエビスビールのことが、脳裏によぎる。
この宿おすすめである、湯も食事も大当たり、しかもリーズナブル。夕食後、大宴会がはじまった、まずはカラオケから。
写真上は左から、たまたま来ていた社長と、宿の女将そして佐世保からきたKキャプテン。そして福岡から来ていたIさん夫妻。この後、ダンスも始まった。霧島・高千穂の夜は更けていった。
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知林ヶ島へは、干潮時に約800mに延びる砂の道(砂州)が出現し、島まで歩いて渡ることができるという。豊川悦司が主演したテレビドラマ『青い鳥』の南の目的地はここではなかったけ。
坊津を訪ねたのも、そんな理由があった。
知林ヶ島の情報はこちら↓
http://www.city.ibusuki.lg.jp/chirin/main.htm
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――以下、坊津町の沿革より
九州の西南端に位置する坊津(ぼうのつ)は、古来から海上交通の要衝として、国内外の船が行き交った港として栄えました。
奈良時代の753年には、遣唐使船に乗った唐僧鑑真が秋妻屋浦(現在の秋目)に着いています。
中世の日明貿易の時代には、対外貿易港として国内外にその名を知られ、明の武備志(ぶびし)には、筑前の博多津(福岡県福岡市)や安濃津(三重県津市)と共に日本の主要な三つの港として、紹介されています。
また、坊津には、一乗院という薩摩藩屈指の真言宗の寺院があり、対外港湾坊津と共に繁栄しました。
江戸時代に入り、鎖国体制化の享保年間の「享保の唐物崩れ」といわれる密貿易の取締りにより、一寒村と化してしまったと伝えられています。
明治維新の幕開けに、坊津は鹿籠村、別府村(現在の枕崎市)と合わせて南方郷と呼ばれ、のち坊・泊・久志・秋目の4村に分離し、戸長役場時代を経て明治22年4月、町村制公布により西南方村に合併統合され役場は久志に置かれました。
昭和28年10月15日、坊津村に改名、昭和30年11月1日、町制をしき坊津町となり現在に至っています。
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