離島(島を去るとき)
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RAC石垣波照間線が来年11月に休止へ
八重山毎日新聞(2006年12月19日)
琉球エアコミューター(RAC)は来年11月で石垣波照間線を休止する方針を固めた。波照間便に就航しているBN2B型機のパイロットが退職するのに合わせた措置で、同社は後継パイロットは養成しない方針。この問題で、大盛武町長は18日の12月定例町議会で、滑走路を1500メートルに延長したあとで運航を再開する方向で「(県とRACとの間で)覚書を結ぼうとしている」と述べた。西大舛高旬氏への答弁。ただ、波照間空港の滑走路延長整備計画は国の空港整備計画には盛り込まれておらず、滑走路延長がいつ実現できるかは不透明。住民生活を支えてきた航空路線は、再開時期が明示されないまま、「休止」となる。RAC以外の航空会社の動きに期待する声もある。(つづきは→)http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=1&article_id=6696
↑でも、自衛隊誘致や普天間基地の代替施設誘致はないんじゃないの…
琉球新報の記事は→
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-19805-storytopic-1.html
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八重山毎日新聞12月17日の記事――。
来年3月に廃止の恐れ」と危機感
【波照間】波照間石垣間航空路線存続住民総決起大会が16日夜、波照間農村集落センターで開かれ、路線存続に向けた4項目のスローガンを採択した。大会の開催を呼び掛けた「波照間の未来を考える会」(登野盛恒会長)は18日午前、町役場で大盛武町長に会い、来年3月いっぱいで廃止のおそれが出ている同路線の存続を訴えることにしている。(続きはこちら↓)
http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=1&article_id=6674
波照間空港で出発を待つアイランダーBN2はとてもかわいい。波照間空港、雷雨のため天候調査のあと、石垣から到着した機は30分の休憩の後、RAC772便となって引き返す。
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波照間診療所の前で、写真に納まるDr.コトーとロケハンのスタッフ。
写真左から、AD役のオカピーさん(埼玉)、Dr.コトー役のTさん(福岡)、演出家役のcooheさん(神奈川)、現地コーディネータ役の○○さん(←名前聞き忘れました申し訳ありません、見ていたら連絡ください)。
みなさん会心の演技でした。また、どこかの島で会えるでしょう。
ちなみに、この診療所だけを目当てに、波照間島を訪れる観光客はあまりいないはず、全国にある診療所を訪ね歩き記念写真を撮るという「診療所オタク」くらいだろう。
なお、波照間診療所の案内はこちらhttp://www.hosp.pref.okinawa.jp/sinryo/hateruma/hateruma.html
その後、宿に戻ってサインをお願いすると、とても気さくに応じてくれた。福岡在住のTさん、付き合ってくれてありがとうございました。 今度、波照間島に来るときは、白衣を持って来てください。
ぜひとも「Dr.コトー診療所 2007 波照間島編 」が実現されることを期待したい。
あっ、もう中島みゆきが歌う『銀の龍の背に乗って』が聞こえてきた。
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今回2泊した民宿は、北部落にあるゲストハウスNAMI。
この宿、素泊まりといいながら、島豆腐と、これでもかといわんばかりのサシミが出される。豆腐は手作り、サシミは獲れたて。だから、ビールがすすまないわけがない。缶が空になると、隣接する丸友売店に買いにいくということをくり返した。
2日目の夜、新客がいた。髪は少し短いものの、彼はDr.コトーに似ていた。そして白衣を着ていたら……。もしかして、お忍びで波照間島を訪れているのではないか……、そんな期待をしてしまう。
しかし、「似ていると言われるんですよ」と笑いながら自己紹介したのは福岡から来たニイニイ、Tさんであった。ある島では実際に、地元のヒトに吉岡秀隆に間違われ、拝まれたことまであったとか。
さて翌朝、NAMIに同宿した男4人は、Dr.コトーことTさんの散歩に同行させてもらうことになった。
設定は、島の人に気づかれないよう早朝、ロケハンに出かけるスタッフと主役のDr.コトー――。
先頭を行くのがDr.コトー先生、そして番組スタッフ。もちろん、めざすはムシャーマ公園わきにある波照間診療所である。
仮題は「Dr.コトー診療所 2007 波照間島編 」――撮影好調、近日公開?――
(つづく)
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定刻10時25分出発のRAC772便、石垣行き。 飛行機マニアでないが、この機体を見かけると思わずカメラを向けてしまう。“島の翼”石垣―波照間便の存続を願う。
ちょうど八重山毎日新聞12月6日づけのニュース。
RAC路線の存続訴え16日に住民総決起大会
RACの石垣波照間線の存続を目指す「波照間の未来を考える会」(登野盛恒会長)は今月16日、公民館とともに島内で住民総決起大会を開き、路線存続に向けた大会決議を行う見通しとなった。(続きは→)
http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=1&article_id=6563
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島の南西部にあるソコナ溜池展望台からの眺め。このあたりは、あまり観光客が足を運ばない。
写真左がペムチ浜の方角。その手前にマトールワーと呼ばれるピテヌワー(御嶽=聖地=)がある。
ニシ浜に行かずに、まずここに訪れるヒトはかなりの波照間通であるはず。
この海の向こうには、南波照間島(パイパティローマ)があるはず。
*ピテヌワーなどに関しては「波照間あれこれ」を参考に。
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11月末、波照間島に行ってきた。
ことし3回目、「波照間病」はかなりやばい状態だ。
土曜出発で月曜帰りの2泊3日、往路は沖縄超割、復路は旅割のチケットを活用。この時期、航空運賃はかなり安い。(写真上はブロッケンの妖怪である)
那覇で乗り継いで石垣着10時50分、離島桟橋に直行、いつものごとくマルハ鮮魚で生ビールを注文する。海空、船と飛行機、そして離島の島影を眺めながら、ここで飲むオリオン生は実に美味い! 身も心もとろけだす。
12時発のニューはてるまに乗り午後1時前には波照間に到着した。揺れはなかった。
港にはこの島出身で宿の手伝いに帰省していた、まえさんが迎えに来てくれていた。
天候は、3日間のうち2日目の朝に雷雨があったものの、晴れ続き、気温は28度もあり短パンとTシャツですごすことができた。
波照間に来るのに理由などないのだが、あえて強引につくるとすれば、高那崎で凧揚げをすることと、島に3つあるピテヌワー(崇高な御嶽=聖地=)の場所を確認すること、そしてまだ行ったことがない港ターミナルから東側の海岸線を訪ねることだった。
しかし、今回は想像もしていなかったある有名人に出会うことができた……(続く)
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| 『神々の深き欲望』(今村昌平監督、1968年) |
学生のころ、三百人劇場か岩波ホールで観たことがある。もちろん再(再・再?)上映で! 波照間島がロケ地になったことは、パンフレットに書かれていたので知っていた。復帰前の沖縄。
かなりメッセージ性が強い、重苦しい映画だったと記憶する。波照間ファンにお薦めとは言いかねるが、背景だけ観るのもいいかも。
TSUTAYAで借りてこようか。
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RAC再び波照間線廃止検討/大盛町長 県に路線存続を要請
【那覇】琉球エアコミューター(RAC)が2007年4月1日から石垣-波照間路線を廃止する方針で調整に入っていることが21日、分かった。(八重山毎日新聞、2006年9月22日より、詳細はhttp://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=1&article_id=5919)
これって地方の切捨て政策のひとつだろう。
アイランダーBN-2はとてもかわいい飛行機である。ナビィの島である粟国島―那覇でも搭乗したことがある。帰路つうじょうの定期便が欠航したにもかかわらず、臨時便の機影が見えたときには目が潤んでしまった。翼をゆらゆらさせながら降下してくるアイランダーが頼もしく思えた。
石垣―波照間路線の存続を切に願う。RACを応援したい。
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祭りの後
ムシャーマの後はとても寂しい。集落にヒトの姿がない。
「おにいさん、まだいたの~。明日は船が来ないかもしれないさ~」
ペットボトルを買ったとき、いきなり売店のオバアに言われた。接近する台風9号のため、観光客は3便か臨時便で帰ってしまったようだ。そういえば、照島荘のチームが、午後の部に参加していなかったことを思い出した。天気予報によると、明日(8月8日)の午後に強風域に入るらしい。
宿に戻りJALのHPを見ると、すでにこの時点でRAC石垣―波照間便の欠航が決まっていた。台風9号の東には、宮古島を直撃しそうな8号と、本土を狙う7号が。
980ヘクトパスカルの台風なんてたいしたことはないではないか。
「yosakoiさん大丈夫、海がしけて、明日は船が欠航するかもよ」美波のおねえが同じことを言った。遅くとも日曜日(8月13日)までに帰ればいいわけだし、波照間島で本格的な台風を体験したい気もする。このあとバーベキューがはじまった。子どもたちは花火を楽しんでいた。
早朝、猛烈な雨が降りはじめた。
ニュー波照間は全便欠航
朝、精算を済ませ港へ行くと、おびただしいほどのヒトのむれがあった。雨にうたれながら、おそらく100人ほどか…。まるで難民を思わせる。といって、ぼろをまとった北朝鮮のひとではけっしてない。
ニュー波照間は全便欠航。
安栄1便は石垣を出航したものの、途中で引き返すかもしれない。
キップを売るみのる荘のヘルパーは、みのるおじいに、もう売るなと怒られている。ダメかもしれない…。
すると、安栄の1便はこんな荒れたなかほぼ定刻とおりに到着した。そして、もう一隻が姿を現した。
なんと、頼もしいことか! このあたり、安栄ファンにはたまらない場面かもしれない。荒れるなか2隻も出してくれた。容量はオーバーしたかもしれないが、積み残しなく安栄便は定刻より30分ほど遅れて出航した。たいした揺れではなかった。みのるおじい、ありがとう! また来る。
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石垣島から南東へ貨物船で一昼夜――、そこに「幻奇島」がある。南大東島と波照間島の地理的イメージを合体させたものだろうが、巻頭に掲載された地図を見ると明らかに波照間島である。トラベルミステリーの巨匠、西村京太郎が売れる前の作品。いわば民俗(宗教)ミステリー。救いのないエンディングは南波照間伝説を彷彿させる。けっして波照間ファンに、おすすめできる作品とはいえないが…。
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『なんくるなく、ない――沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか――』(よしもとばなな著)の第2章にある「波照間島旅の雑記」は泣かせます。みのる荘やらパナヌファも登場。でも、これほどいろっぽい、よしもとばなな嬢の姿見たことない。写真は垂見健吾氏。
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翌朝、目を覚ますと5時半、風の音がすごい。庭に出ると、雲が勢いよく流されていくのが見える。 台湾南にある台風1号の影響なのだろうか。
そこに、洗濯中のオバアが顔を出した。島の女性は働きモンである。「北風さ~」
島のヒトは風向きに敏感である。要注意なのが北風と北東から吹く風で、潮の流れとぶつかりうねりを生む。海はしけるのだ。
今日、石垣―波照間便は飛ばないのでは、安栄の高速船も欠航かもしれない…、と不安がよぎる。「なんくるないさー」楽観的に考える。
ヨメが起きて、散歩に行くと、コート盛の方からMオジイが現れた。聞いてもないのに「毎朝、マラソンで、ここを2周しているさー」と勝手にしゃべりだす。今日の飛行機が飛ぶかを尋ねた。
「このくらいの風なら大丈夫さー。霧がかかっていないからね」空港でも働くオジイに、こういわれると心強い。風でなく、波照間空港は霧に弱い。(台風時以外の欠航のほとんどは視界不良による欠航である)
「あとで、空港に連れていくからね」またまた、いい感じで言った。その後、空港に向かうクルマのなかで、ニシ浜のそばにできるペンションのことや、新しい家の一部を宿としてつかうために行政との対応に苦労したことなど、話してくれた。
強い風に吹かれ翼を上下させながら、一生懸命に頑張って下降してくるアイランダーの機影が見えた。波照間着9時55分のRAC771便である。
小雨がぱらつくなか、アイランダーに乗り込む。この便は満席(定員9名)だった。ぼくたちの座席は2Aと2B。パイロットの後ろである。「また来る!」オジイや見送りのヒト(美波のおかあさんも来ていた)に手を振った。感傷にひたる間もない。
定刻の10時25分、滑走路の南から離陸、島を回ることもなくいっきに上昇、石垣へ向かった。陽ざしのない八重山の島は寂しそうに見えた。(このころ=5月14日午前10時=沖縄地方の梅雨入りが発表されていた)
この項=波照間島=終わり
波照間島2泊目。この日の宿は、「みのる荘」である。
受付を兼ねた食堂で、手続きを済ますと、ヘルパーさんにつれて行かれたのは、なんとMオジイの豪邸(通称・みのる御殿)だった!
確かに波照間には、似合わない豪邸かもしれない。(オバアによると、この建物震度7にも耐えるという。だから、何なんだと突っ込む)
ぼくたちの部屋は、庭に面した1階角部屋、10畳ほどの新しい和室。もっと驚いたのは、床の間には泡波1升瓶と2.5升瓶(4.5リットル)が置かれていたことだ。さすがに、南の島だから、トラ(あるいはクマ)の毛皮とかはなかったが…。
もし、ぼくが盗人(本格盗賊=池波正太郎著『鬼平犯科帳』より=)だったら、泡波の中身を入れ換えて、翌朝こつぜんと姿を消していただろう(泡波1升瓶の那覇・国際通りの相場は3万円)。
この部屋に泊まれるのは、オジイに一目置かれ、ぼくがVIP待遇されたからなのか――。それは壮大な勘違いで、オーバーブッキングであったのだ。夜、Mオジイに会うと、ぼくのことをすっかり忘れていた。「たくさんのお客が来るからさー」といい感じでいう。
ちなみに、1階には広い応接間(共同スペース)と、和室が5部屋ある。そのうち(もちろん竹富町の認可を受けて)3部屋を宿として貸しているのだという。
夜、風が強くなった。
ニシ浜から、美波へ戻る。午後2時過ぎ、集落にヒトの姿はない。共同売店も閉まっている。島では昼寝の時間だ。日の強さは殺人的である。
シャワーを浴び、その合間に洗濯をした。干すと、ものすごい勢いで乾いていくのが分かる。宿の精算をすませ、テラスでダラダラ過ごすうちに、Tシャツは完璧に乾いていた。
「待っててね。空港から戻ったら(今日の宿に)送ってあげるからね」と、美波のおかあさんは言った。
空港に向かう所沢ニイニイを、見送る。SFC会員で美波リピーターでもある彼はRAC午後便で石垣に渡り、那覇発の羽田行きの最終便で帰るのだという。
いま、ぼくたちが、宿の留守番役である。宿と客の境が曖昧である。こんなところも、八重山(離島)の魅力である。
しばらくすると、美波のおかあさんは、この日の宿(みのる荘)に送ってくれた。
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波照間2日目。朝、冷蔵庫に入れておいた石垣で仕入れた焼肉弁当に、生卵をぶち込みフライパンで炒めると、豪華なチャーハンに変わった。ヨメがほめてくれた。
今日も、もちろんトロトロと過ごす。気のせいか昨日よりもすこし雲が多いように感じられる。が、天気は晴れである。(いよいよ、台湾の南にある台風1号が影響しはじめたのだろうか、この日ついに西表の島影を見ることはできなかった。)
正午前に、港のターミナルにある食堂「海畑(いーのー)」へ行き、生ビールを注文。ここは1杯300円で泡波(ロック)が飲めるお店だ。
(ちなみに、泡波1杯の東京の相場は1500~4000円! もっと高い店もある。仮に1500円にしてもその差額は1200円。つまり6杯飲めば高速船の往復運賃は取り返せるし、11杯飲めばRAC往復料金が回収できるわけだ…)。
ゆで卵をつまみに、ジョッキを傾ける(←飲んでばかりではないか!)。高速船が到着する時刻には間があるためか、あいにく泡波(1号瓶)が買える土産屋は閉まっていた。ここで少々自分をいましめる。「波照間に、泡波を買いに来たわけではない、癒されに来たんだ」
しばらくすると、港に「フェリーはてるま」(波照間海運)が入港。下りて来た乗客は二人ほど。この船はあくまで貨物用なのだろう。
そして、強い日差しのなか、トロトロと再びニシ浜へ向かった。
*なお、波照間港ターミナル内に、波照間海運(本社・沖縄県石垣市)の手書きの社員募集広告が貼られていた(写真撮り忘れ)。すこし考えこんだ…体力のないぼくではダメだろうな。
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ニシ浜から、宿「美波」に戻った。
ぼくたちの部屋は2号館。センスがいい。キッチンを含め10畳ほどのトレーラーハウスに、食卓テーブル、冷蔵庫、テレビ、シングルベッド2台などが置かれている。炊飯器をはじめ調理器具がそろっている。キッチンには油、塩・コショウ、ショウユも用意されている。食材があればいくらでも料理ができる。
なにより、オーナーのおかあさん(島生まれ)が素敵である。はっきりいって、正解だった。またお世話になりたい。
当初、波照間では毎回お世話になった「みのる荘」に2泊する予定だった。Mオジイにも再会したかったし。しかし、出発2週間ほど前、今年できた民宿、素泊まりハウス「美波」のHP(http://homepage2.nifty.com/minami85/index.html)を見てから、泊まってみたくなった。運よく1日目が空いていたので予約をいれ、みのる荘の1泊分をキャンセルした。
ちなみに、波照間では今年になってから2軒の宿が新たに開業した。美波と、もう一軒はMオジイの豪邸隣にできた「うるま屋」だ。さらに夏から秋にかけて、ニシ浜の上にこの島初のペンションが開業予定である。(このニシ浜のペンション建設計画は20年前からあったという。最終日、空港に送ってくれる途中、Mオジイは話してくれた。)
さて、シャワーを浴びたあとテラスで、オリオンビールで乾杯。雲がなくなっていた。今日なら、星空観測タワーに行けば南十字星を見ることができるだろう。
この日、同宿となった所沢ニイニイと岐阜ネエネエと、深夜まで宴会をした。つまみは、羽田で買った空弁「焼きさば寿司」と、焼き鳥やさんまの蒲焼の缶詰など。
翌朝、気がつけば、八重泉3合瓶、オリオン9缶、「泡波」ミニチュアボトル7本が空になっていた。
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当初は竹富島に渡り、戻ってから石垣空港に行く計画だった。「こんなに晴れているなか竹富へ行ってしまったら、波照間の感動が薄れてしまう」ということで急遽変更。
730交差点を起点に市役所通り、あやばにモールをトロトロと歩く。
来るたび訪ねる石垣牛の焼肉屋「たけさん亭」でランチを注文、今夜の宿が素泊まりであることを思い出し、持ち帰りの焼肉弁当を作ってもらった。(正解だった。この弁当は翌朝、チャーハンに変身した)
伊良部島の泡盛「宮の華」の古酒と、少しの食材を仕入れ、空港へ戻った。
これまで波照間便は午前の1便だけで毎日運航されていたが、今年4月から週4日(火・金・土・日)2便飛ぶ体制に変わった。週7便から週8便に増便となったわけだ。
こんな具合だ。
RAC771便 石垣発09:30→波照間着09:55
RAC772便 波照間発10:25→石垣着10:45
RAC773便 石垣発15:15→波照間着15:40
RAC774便 波照間発16:10→石垣着16:30
搭乗1時間前――。荷物を預け、計量機に乗り、手荷物を持って重量を量る。座席は3Aと3Bに決まった。乗客は6名。ぼくたちと地元のおばさんが二人、そして一人旅の女性が二人。
大型機の発着のない合間に、アイランダーは離陸した。
竹富島上空から小浜島をかすめ、左手に黒島。そして新城島(パナリ)上地、下地を過ぎ、いよいよ外海を渡る。波照間の島影が見えてくる。目がウルウルになってしまう。もっと向こうには、南波照間島(ハイパティローマ)がきっとあるはずだ。
アイランダーは島を反時計回りして、南側から進入するコースをとった。ニシ浜からペムチ浜へ抜けると、そして高那崎が迫る。ファイナル・アプローチ。眼前に滑走路が延びる、そして着陸。
午後の日ざしのなかでの20分間の飛行。大人普通運賃7060円、往復割引6420円、マイレージ(JAL)がつかなくても結構、(とくに午後の)石垣―波照間便、乗るだけの価値はある。この離島便、いつまでも存続してほしい。がんばれRAC(琉球エアーコミューター)!
*なお、アイランダー機からの写真は、波照間島2006年5月のアルバムを見てほしい。余計な文章はいらないと思う。
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石垣空港で荷物を受け取ると、JAL(JTA)側の出発ロビーへ急ぐ。(JTA=日本トランスオーシャン航空=というよりも、沖縄の翼「南西航空」と呼びたい。かつて那覇空港で、あのオレンジの翼を見るたび、にいま沖縄に来たんだと実感したものである)
さして出発時刻が迫っているわけでない。午前の波照間便(RAC=JTA=771便、石垣9時30分発)が欠航しなったかを確認するためである。掲示板には出発済みの文字が。「…よかった!」 そういえば、到着したとき、滑走路わきには、アイランダーBN2の姿がなかったではないか。(乗客9人乗りのアイランダーは働きモンである)
荷物をロッカーに預け、タクシーで離島桟橋に向かった。目指すは「マルハ水産」、離島航路の船を見ながら、サシミや揚げ立てのてんぷら(フリッター)をつまみに、オリオン生ビールが飲めるお店だ。
西表島の島影が鮮明に見える、手前には竹富島が。こんな晴れはひさびさだ。雨や曇の八重山はとても寂しい。南にある高気圧が、がんばっているのだ。梅雨入りの前線を押し返してくれ。
竹富島、小浜島、黒島行き。あれは西表島・上原、大原、鳩間島…。一目おかれる波照間78便(安栄)を見つけると涙ぐむ自分がいた。
そして安栄観光、八重山観光フェリーなど(もちろん波照間海運も)、みんな頑張っているんだ。こう思うとまたまた涙がこみ上げてくる。
春の選抜では、八重山商工も頑張った!
オリオンの大ジョッキで乾杯!
時計を見ると10時30分、アイランダーが波照間空港を出発した時刻だった。
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